2011年6月13日月曜日

それは自分の全てではないけれど、その場所では自分の全力で。


やりたいことだけやっていいよ、
といわれたとして、
さて自分のやりたいことってなんだろう。
「だけ」というからには、
ひとつのことを継続的にということなんだろうが
そうおもえるほどやりたいことがみつからない。
たとえば
スポーツや芝居や、歌や、絵など一芸に秀でた人が
そのひとつのことに懸ける、
全てをそのやりたいことだけに集中する、
ということはあるけれど、
わたしなんか40年以上も生きてきて
好きなことはそこそこあるけれど
ひとつ「これだけ」のものはみつからない。
若い頃は、自分の「これだけ」を探そうとしていたのだけれど
みつかることなくここまできちゃった。
で、最近ふと考えた。
そもそも、ないんじゃないの?「これだけ」のものなんて。

考えてみたら、
小規模のやりたいことは、いつでもそこそこある。
で、仕事をしたり、家で暮らしたりしながら生活している。
そのなかで、善かれ悪しかれがんばっちゃうこともある。
っていうことは、
そこそこ好きなことや興味のあるものが混じっているこの生活そのものが
わたしのやりたいことなんじゃないだろうか。
自分が居る場所場所で、
それぞれの自分が「こうしたい」「ああしたい」とおもいながらやってる。

その場は自分の全てではないけれど、
その場所では自分の全力で。

小分け袋みたいな「やりたいこと」。
いろいろ袋を持っているので、
邪魔になることもあるかもしれない。
整理や調整も必要かもしれない。
でも、その不自由さも含めて、
全部ひっくるめての自分だからしかたない。
だけど、その袋の中では自由に動ける。
で、自分はその袋ひとつだけじゃないから
もしその袋ひとつがポシャってしまっても
自分はなくならない。
袋は他にもあるし、
新しい袋を膨らましても良いしね。
でも、言っておくけど、
はじめから逃げとか軽いというわけではなくて
基本全力投球。その場では。
ただ追いつめられていると自由になれないからね。

そう考えると
自分の持っているバランスが説明できるような気がした。
だったら、やりたいことさがしはおしまい。
やりたくないことリストでもか考えてみようかな。


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